三国志の魏には、見た瞬間に「強そう」と思える武将がたくさんいます。
典韋や許褚は怪力の猛将。
夏侯惇は隻眼の将軍。
張遼は合肥で孫権軍を震え上がらせた名将。
では、
楽進(がくしん)は?
正直に言うと、僕はこれまで楽進について、
「そこそこ強い武将」
くらいのイメージしか持っていませんでした。
僕は『真・三國無双』から三国志に入ったこともあり、最初のころにプレイアブル武将ではなかった楽進は、張遼や夏侯惇などと比べるとどうしても地味。
「魏にいるそこそこ強い武将なのかな?」
くらいに思っていました。
でも史実を調べてみると、
全然違いました。
楽進は小柄。
それなのに戦いが始まれば、
何度も先陣を切って敵へ突っ込んでいく。
呂布軍とも戦う。
官渡でも戦う。
袁紹の勢力とも戦う。
関羽とも戦う。
そして最後には、
張遼・李典とともに合肥を守る。
しかも曹操からは、
武勇だけではなく、計略・忠誠・指揮能力まで高く評価されています。
僕は身長180cmあるので、小柄な人が実際に戦場で感じる恐怖を理解できるわけではありません。
でも、
大男たちが武器を持って待ち構えているところへ、
小柄な楽進が真っ先に突っ込んでいく。
そう考えると、
「この人、かなりクレイジーなくらい勇気があったんじゃないか?」
と思います。
今回は、
僕自身も詳しく知らなかった楽進について、
その強さと生涯を詳しく見ていきます。
- 楽進とは?基本プロフィール
- 楽進は本当に小柄だった
- 最初は曹操の「帳下吏」だった
- 楽進の代名詞「先登」
- 小柄なのに大男たちへ突っ込んでいく
- 呂布との戦いでも先陣を切る
- 張繍・呂布・劉備とも戦った
- 官渡の戦いでも楽進は活躍
- 袁紹の息子たちとの戦いでも活躍
- 「また楽進が先頭にいる」
- 楽進はただ突っ込むだけの武将ではない
- 僕が思っていた「小回りが利きそう」はどうなのか?
- 楽進は独立した軍も任されるようになる
- 楽進は関羽とも戦っていた
- 劉備自身も楽進を警戒していた
- 最終的には張遼・李典と合肥へ
- 合肥では張遼と役割が違った
- 突撃だけではなく「任された役割」をこなす
- 張遼・楽進・李典は仲が悪かった?
- 楽進の強さとは?
- 楽進の強み① とにかく先陣を切れる
- 楽進の強み② 相手を選ばない
- 楽進の強み③ 曹操から総合力を評価されていた
- 楽進の強み④ 小柄でも前へ出る精神力
- 陳寿も楽進を「驍果」で知られた武将と評価
- 『真・三國無双』から入ると地味に感じてしまった
- ゲームと史実で一番違ったのは「地味さ」
- 218年、楽進死去
- もし楽進があと10年生きていたら?
- 「小柄な兵士たちの希望の星」になってほしかった
- 小柄でも曹操軍の大将軍クラスまで行ける
- 息子にも楽進の気質は受け継がれた
- 楽進を一言で表すなら「小さな切り込み隊長」
- まとめ|楽進は小柄な体で最前線を走り続けた魏の猛将
楽進とは?基本プロフィール
名前:楽進(がくしん)
字:文謙(ぶんけん)
出身:陽平郡衛国
主君:曹操
代表的な戦い:濮陽・官渡・南皮・荊州方面・合肥など
最終官職:右将軍
没年:218年
諡:威侯
楽進は、
曹操軍のかなり早い時期から活躍した武将です。
張遼・于禁・張郃・徐晃とともに、後世一般に、
「五子良将」
と呼ばれる五人の一人として知られています。
正史『三国志』でも、
この五人は同じ巻に伝がまとめられています。
ただし「五子良将」は当時正式に与えられた部隊名や称号というより、後世一般に使われる呼び方として考えた方が分かりやすいでしょう。
楽進は本当に小柄だった
楽進について面白いのが、
正史に、
「容貌短小」
と記録されていることです。
つまり、
小柄な人物だった。
正確な身長までは分かりません。
そのため、
「○○cmだった」
という話まではできません。
でも、
小柄だったこと自体は正史に記録されています。
そして、その直後に出てくるのが、
「膽烈」
という言葉です。
勇気があり、
非常に勇猛だった。
体は小さい。
でも、
度胸はものすごかった。
これが正史から見える楽進です。
最初は曹操の「帳下吏」だった
楽進は、
最初から大将軍だったわけではありません。
曹操に従い、
帳下吏
となりました。
そして曹操から、
故郷へ戻って兵を集めてくるよう命じられます。
楽進が集めて戻ってきた兵は、
1,000人以上。
その後、
軍の指揮官として取り立てられていきます。
ここから楽進は、
戦場で自分の価値を証明していきます。
楽進の代名詞「先登」
楽進の生涯を見ていると、
何度も出てくる言葉があります。
それが、
「先登」
です。
簡単にいえば、
敵の陣地や城へ、
真っ先に攻め込むこと。
当然、
めちゃくちゃ危険です。
敵からすれば、
最初に来る人間を全力で止めようとします。
矢も飛んでくる。
槍もある。
城なら高い場所から攻撃される。
その中へ、
楽進は先頭に立って突っ込んでいった。
小柄なのに大男たちへ突っ込んでいく
ここが、
僕が楽進を調べて一番印象が変わったところです。
僕は180cmあるので、
小柄な人の気持ちを本当の意味で理解することはできません。
でも想像してみると、
当時の戦場です。
周囲には武器を持った敵兵がいる。
当然、自分より大きな相手だってたくさんいるでしょう。
その中へ、
「俺が最初に行く!」
と突っ込んでいく。
しかも一度ではありません。
何度もです。
かっこいいというより、
ちょっとクレイジーです(笑)。
でも、
それくらいの勇気がなければ、
何度も「先登」の功績なんて残せないと思います。
呂布との戦いでも先陣を切る
楽進は曹操に従い、
濮陽で呂布軍
と戦います。
さらに、
張超。
橋蕤。
こうした敵との戦いでも、
楽進は活躍。
正史には、
これらの戦いで、
「皆先登有功」
と記録されています。
つまり、
何度も先頭に立って攻め込み、
功績を挙げたのです。
その結果、
広昌亭侯
に封じられました。
張繍・呂布・劉備とも戦った
楽進の戦歴を見ると、
相手がかなり豪華です。
張繍。
呂布。
劉備。
袁紹。
袁譚。
袁尚。
関羽。
孫権。
三国志の有名人物たちと、
次々に戦っています。
張繍との戦い。
下邳での呂布包囲。
劉備への攻撃。
これらでも戦功を挙げ、
楽進は、
討寇校尉
へ昇進しました。
官渡の戦いでも楽進は活躍
200年。
曹操と袁紹が激突した、
官渡の戦い。
もちろん、
ここにも楽進がいます。
正史の楽進伝には、
官渡で力戦し、
袁紹軍の将・淳于瓊を斬った
と記録されています。
淳于瓊といえば、
袁紹軍の兵糧拠点・烏巣を守っていた武将として有名です。
官渡の勝敗を左右した重要人物の一人です。
そんな戦いでも、
楽進は戦功を残しています。
袁紹の息子たちとの戦いでも活躍
袁紹が亡くなった後も、
戦いは終わりません。
袁譚。
袁尚。
曹操は、
袁紹の後継勢力との戦いを続けます。
ここでも、
楽進が出てきます。
黎陽では、
袁氏側の大将・厳敬を斬ったと記録されています。
さらに、
鄴攻略にも参加。
そして南皮では、
またしても、
先登。
敵城へ真っ先に攻め込み、
袁譚側の東門から侵入しました。
「また楽進が先頭にいる」
ここまで来ると、
僕の中の楽進のイメージが完全に変わります。
最初は、
「そこそこ強い人」。
でも実際には、
呂布との戦い。
張超との戦い。
橋蕤との戦い。
そして南皮。
何度も、
一番危険なところへ最初に行っている。
曹操からすると、
攻撃のきっかけを作りたいとき、
「楽進を行かせよう」
となるような武将だったのかもしれません。
楽進はただ突っ込むだけの武将ではない
ここで勘違いしたくないのが、
楽進は、
勇気だけの猪突猛進型ではない
ということです。
曹操は206年、
楽進・于禁・張遼について、
漢の皇帝へ上表しています。
その中で三人について、
武力だけではなく、
計略が周到であること。
忠誠心があること。
軍を率いれば兵士をまとめられること。
命令を守ること。
敵を前にすれば適切に判断できること。
こうした部分まで高く評価しています。
つまり、
「勇敢だから突っ込ませていた」だけではありません。
将軍として、
曹操から総合的に評価されていました。
僕が思っていた「小回りが利きそう」はどうなのか?
僕は小柄で強い楽進について、
「小回りが利くタイプだったのかな?」
と思いました。
ただ、
ここは注意が必要です。
正史には、
「楽進は小柄だから俊敏だった」
「小回りを生かして戦った」
という記録はありません。
なので、
これはあくまで僕の想像です。
ただし、
楽進が何度も先陣を切ったことは事実。
そのためゲーム的に能力を考えるなら、
大柄なパワー型というより、
小柄で勇敢な突撃型
というイメージはかなり似合うと思います。
楽進は独立した軍も任されるようになる
戦功を積み重ねた楽進は、
ただ曹操についていくだけの武将ではなくなります。
自分で軍を率いて戦う立場
になっていきます。
高幹討伐では、
北道から上党へ侵入。
敵の後方へ回り込みました。
さらに管承討伐では、
李典
とともに出撃。
敵を破り、
海辺の地域を平定します。
ここまで来れば、
完全に曹操軍の主力将軍です。
楽進は関羽とも戦っていた
そして楽進の経歴で、
かなり面白いのが、
関羽との戦い。
曹操が荊州を平定した後、
楽進は襄陽方面へ駐屯します。
そこで、
関羽・蘇非らを攻撃して退けた
と正史に記録されています。
さらに周辺勢力も、
楽進へ降伏。
劉備側の地方勢力も撃破しています。
劉備自身も楽進を警戒していた
さらに劉備伝を見ると、
興味深い記述があります。
劉備が劉璋に対して、
孫権救援へ向かう必要性を説明した際、
「楽進が青泥で関羽と対峙している」
ことを理由の一つとして挙げています。
そして救援しなければ、
楽進が関羽を破ってさらに侵攻してくる可能性を心配しています。
つまり、
楽進は単なる「そこそこ強い人」ではありません。
劉備側から見ても放置できない曹操軍の将軍だった
ことが分かります。
最終的には張遼・李典と合肥へ
その後、
曹操と孫権の戦いが激しくなります。
曹操は、
張遼・楽進・李典
らを合肥へ配置しました。
魏VS呉を代表する戦場です。
そして215年。
孫権が、
約10万の大軍
を率いて合肥へ迫ります。
対する魏軍は、
約7,000。
圧倒的な兵力差です。
合肥では張遼と役割が違った
曹操は、
事前に命令を残していました。
孫権軍が来たら、
張遼と李典が出撃。
そして、
楽進は城を守る。
という役割です。
ここ、
楽進を知れば知るほど面白いと思います。
これまで楽進は、
何度も先陣を切ってきました。
「突っ込め!」
と言われれば、
誰よりも前へ行きそうな人物です。
でも合肥では、
守備を任された。
突撃だけではなく「任された役割」をこなす
有名なのは、
張遼の800人による奇襲です。
張遼は孫権軍へ突撃し、
圧倒的な武勇を見せます。
▶ 関連記事:張遼とは?合肥で孫権を震え上がらせた魏の名将
でも、
全員が突撃してしまったら、
城を守る人がいなくなります。
楽進には、
合肥そのものを守る役割
が与えられていました。
若いころから何度も先陣を切った猛将が、
経験を積んだ後には、
必要なら守備も担当する。
僕はここも、
楽進がただの突撃型ではなかった証拠だと思います。
張遼・楽進・李典は仲が悪かった?
合肥を守った、
張遼・楽進・李典。
正史には、
三人の関係について、
普段は仲が良くなかった
という趣旨の記録があります。
しかし孫権軍が迫ると、
張遼が曹操の命令に従って出撃を主張。
李典も、
個人的な感情より国家の大事を優先します。
楽進は、
命令どおり守備を担当。
結果として、
三人はそれぞれの役割を果たし、
圧倒的多数の孫権軍から合肥を守りました。
楽進の強さとは?
ここまで見て、
楽進はどんな武将だったのでしょうか。
僕は、
「勇気がものすごい人」
だと思います。
もちろん、
勇気だけではありません。
楽進の強み① とにかく先陣を切れる
これは、
楽進最大の特徴でしょう。
何度も、
「先登」
の記録があります。
敵陣へ最初に飛び込む。
城へ最初に登る。
普通なら、
できれば避けたい役割です。
でも、
楽進はそれを何度もやっています。
楽進の強み② 相手を選ばない
呂布。
張繍。
劉備。
袁紹。
袁譚。
袁尚。
関羽。
孫権。
楽進が戦った相手を見ると、
かなりすごい顔ぶれです。
しかも、
長期間戦い続けています。
楽進の強み③ 曹操から総合力を評価されていた
武勇だけではありません。
曹操は、
楽進・張遼・于禁について、
計略。
忠誠。
軍の統率。
命令への忠実さ。
戦場での判断。
こうした部分まで評価しています。
つまり、
楽進は「小柄だけど勇敢な兵士」で終わらず、軍を任せられる将軍へ成長した
ということです。
楽進の強み④ 小柄でも前へ出る精神力
そして僕が一番好きなのは、
やっぱりここです。
体格で相手を圧倒するタイプではない。
正史にも、
わざわざ、
「容貌短小」
と書かれています。
でも、
戦場に出たら前へ行く。
僕は180cmあるので、
小柄な人の気持ちを本当に理解することはできません。
でも、
もし自分より大きな敵が何人も待ち構えている場所へ、
「お前が最初に行け」
と言われたら、
かなり怖いと思います。
楽進は、
それを何度もやった。
やっぱり、
かなりクレイジーなくらい勇気のある人です。
陳寿も楽進を「驍果」で知られた武将と評価
『三国志』を書いた陳寿は、
張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃についてまとめて評価しています。
その中で楽進は、
「驍果をもって名を現した」
という趣旨で評されています。
勇猛で、
決断力がある。
まさに、
ここまで見てきた楽進そのものです。
一方で陳寿は、残された記録を見ると評判ほど詳しい活躍が伝わっていないとして、
記録自体に抜け落ちた部分がある可能性
にも触れています。
つまり、
僕たちが現在知る楽進の活躍は、
本来のすべてではない可能性もあります。
『真・三國無双』から入ると地味に感じてしまった
僕は三国志に、
『真・三國無双』から入りました。
だから、
プレイアブル武将かどうかの影響は結構大きかったです。
夏侯惇。
典韋。
許褚。
張遼。
こういった武将は、
自分で操作できる。
だから自然と、
「魏の重要人物なんだ」
と感じます。
一方、
昔の作品では楽進を操作できませんでした。
そのため僕の中では、
「そこそこ強い人」
くらいの印象になっていました。
でも史実を見ると、
かなり重要な人物です。
ゲームと史実で一番違ったのは「地味さ」
史実の楽進には、
呂布のような、
「三国志最強!」
という派手な伝説はありません。
典韋の怪力。
許褚の怪力。
夏侯惇の隻眼。
張遼の合肥。
こういった、
一発で覚えられる特徴も少ない。
だから、
地味に見えてしまうのだと思います。
でも、
実績を一つずつ並べていくと、
全然地味じゃありません。
218年、楽進死去
そんな楽進ですが、
建安23年(218年)に亡くなります。
諡は、
威侯。
ただし、
正史には楽進がどのような原因で亡くなったのか、
詳しく書かれていません。
そのため、
病死だったのか、
別の原因だったのか、
断定することはできません。
もし楽進があと10年生きていたら?
ここからは、
完全に僕の想像です。
もし楽進が、
あと10年くらい長生きしていたら。
曹操が亡くなる220年を越え、
曹丕の時代。
さらに、
曹叡の時代まで生きていたら。
僕は、
もっと武功を挙げていた可能性はかなりあったんじゃないか
と思います。
でも、
もう一つ見てみたかったことがあります。
「小柄な兵士たちの希望の星」になってほしかった
長年戦ってきた楽進。
年齢を重ねれば、
若いころのように、
毎回自分が先頭に立って突っ込む必要はありません。
そこで、
自分が何十年も経験してきたことを、
若い兵士へ教える立場
になっていたら面白かったと思います。
特に、
体格に恵まれていない兵士たち。
「自分は小さいから戦えない」
「大きな相手には勝てない」
そんな兵士がいたら、
楽進ほど説得力のある指導者はいないでしょう。
小柄でも曹操軍の大将軍クラスまで行ける
楽進自身が、
その証明です。
小柄だった。
それでも、
何度も先陣を切った。
軍を率いた。
関羽とも戦った。
合肥を守った。
そして、
右将軍
まで昇った。
だから若い兵士へ、
「体の大きさだけで武将の価値は決まらない」
と教えることができたはずです。
僕は、
もし楽進が曹叡の時代まで生きていたら、
新しい戦場で活躍するだけではなく、
次世代の兵士を育てる存在
にもなってほしかったと思います。
息子にも楽進の気質は受け継がれた
楽進の跡は、
息子の**楽綝(がくちん)**が継ぎました。
正史には楽綝について、
果断で、父の風格があった
という趣旨の記録があります。
つまり、
楽進の勇敢な気質は、
息子にも受け継がれていたと評価されたわけです。
楽綝は後に、
揚州刺史
まで昇っています。
楽進本人が次世代をどう教育したのかまでは分かりません。
でも、
息子について「父の風」があったと記録されているのは、
僕が想像した、
「次世代を育てる楽進」
を少しだけ感じさせてくれる記録だと思います。
楽進を一言で表すなら「小さな切り込み隊長」
僕が今回、
楽進について調べて一言で表すなら、
「小さな切り込み隊長」
です。
ただ、
最初から最後まで突撃しかできない武将ではありません。
若いころは、
誰よりも前へ。
経験を積めば、
軍を率いる。
必要なら、
守備もする。
そして、
曹操からは計略や統率まで評価される。
だからもう少し正確に言えば、
「勇気を武器に成長した、曹操軍の小さな名将」
なのかもしれません。
まとめ|楽進は小柄な体で最前線を走り続けた魏の猛将
楽進について、
僕は今まであまり詳しく知りませんでした。
ゲームでも最初からプレイアブル武将ではなかったので、
「そこそこ強い武将」
くらいのイメージ。
でも、
史実を調べると全然違いました。
楽進は小柄だった。
それでも、
勇気があった。
呂布軍との戦いで先陣を切る。
張超との戦いでも先陣を切る。
橋蕤との戦いでも先陣を切る。
官渡で戦う。
袁紹の後継勢力とも戦う。
南皮でも先登。
独立して軍を率いる。
関羽を退ける。
そして最後には、
張遼・李典と合肥を守る。
曹操からも、
武力だけではなく、
計略・忠誠・統率・判断力まで評価されました。
僕は180cmあるので、
小柄な人の気持ちを本当の意味で理解することはできません。
でも、
大男たちが武器を持っている戦場へ、
小柄な楽進が真っ先に突っ込んでいく姿を想像すると、
「この人、相当勇気があったんだな」
と思います。
むしろ、
ちょっとクレイジーなくらいです。
そしてもし、
楽進がもう少し長生きしていたら。
曹丕。
曹叡。
その時代でも、
まだまだ武功を挙げたのではないでしょうか。
でも僕は、
戦う楽進だけではなく、
小柄な兵士たちの希望の星になる楽進
も見てみたかった。
体が大きくなくても、
勇気があれば前へ出られる。
努力すれば軍を率いることもできる。
曹操から信頼される将軍にもなれる。
そんなことを、
自分自身の経験から若い兵士へ伝える。
そして、
次世代の兵士たちを育てる。
そんな晩年があっても、
楽進らしかったのではないかと思います。
僕の中で楽進はもう、
「そこそこ強い人」ではありません。
小柄な体で何度も最前線へ飛び込み、
曹操軍を初期から支え続けた、
勇気の人。
そして、
魏を代表する名将の一人です。
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