三国志の魏には、分かりやすく「強い」と感じる武将がたくさんいます。
合肥で孫権軍を破った張遼。
関羽軍を破った徐晃。
街亭で馬謖を破った張郃。
怪力で曹操を守った典韋や許褚。
では、
于禁(うきん)は?
僕の中では以前から、
「有能な武将ではあるけど、そこまで強そうではない」
というイメージがありました。
その大きな理由が、
関羽への降伏。
どうしても、
「関羽に負けて降伏した人」
「最後に主君を裏切った人」
という印象が残ってしまいます。
『真・三國無双』でも最初からプレイアブル武将だったわけではなかったので、
僕自身、
「魏ではそこまで重要な人物じゃないのかな?」
と思っていました。
でも史実の于禁を調べてみると、
そのイメージはかなり変わります。
曹操に長年仕え、
呂布・張繍・袁紹らと戦い、
軍が崩壊しかけた場面でも自分の部隊をまとめ、
曹操から高く評価された。
そして軍律については、
友人でさえ特別扱いしなかったほど厳格。
そんな人物が、
人生の最後に近いところで関羽へ降伏します。
僕は今回、ここを単純に、
「于禁は臆病だった」
だけでは終わらせたくありません。
もちろん、この時代の武将なら、
最後まで戦って死ぬ。
その方が「忠義を貫いた漢」としてはかっこいいと思います。
実際、一緒にいた龐徳は降伏せず、死を選びました。
でも、
于禁にも部下にも家族がいたはずです。
いつの時代でも、
「死ぬより生きたい」
と思うのは普通のことではないでしょうか。
降伏という判断が正しかったのか。
それは簡単には決められません。
でも、
一度の降伏だけで、それまで于禁が積み重ねてきた何十年もの功績まで否定する必要はない。
僕はそう思います。
今回は、
「関羽に降伏した武将」だけではない于禁
の生涯を追ってみます。
- 于禁とは?基本プロフィール
- 于禁は黄巾の乱から軍人として歩み始める
- 呂布軍との戦いで結果を出す
- 張繍の反乱で見せた于禁の本当の強さ
- 敗走中でも自分の軍を崩さなかった
- 味方の略奪も許さなかった
- 「今は敵への備えが先」
- 于禁は弱いどころか曹操から絶賛されていた
- 官渡の戦いでも于禁は大活躍
- 楽進とともに袁紹軍を攻撃
- 于禁を象徴する「昌豨」の事件
- 友人でも軍令は曲げない
- 真面目すぎるほど真面目
- 曹操はさらに于禁を信頼する
- 于禁は五将軍の中でも重要な存在だった
- 219年、于禁の運命を変える樊城の戦い
- 突然の大雨と漢水の氾濫
- 于禁、関羽に降伏
- 曹操も于禁の降伏に驚いた
- なぜ于禁は降伏したのか?
- 「死にたくない」は弱さなのか?
- 于禁を「弱い」とだけ言う気にはなれない
- それまでの功績まで消えるわけではない
- 関羽敗北後、于禁は呉へ
- 于禁、ようやく魏へ帰還
- 曹丕は一度、于禁を慰めた
- 曹丕が于禁に見せたもの
- これはかなり辛い最期だと思う
- しかも諡は「厲侯」
- 于禁は裏切り者だったのか?
- 于禁の強さとは?
- 于禁の強み① 軍を崩さない
- 于禁の強み② 守備ができる
- 于禁の強み③ 軍律を守る
- 于禁の強み④ 長期間使われ続けた
- 于禁は「影の頑張り屋」だったのかもしれない
- 正史と『三国志演義』で見る于禁
- 正史の于禁は「曹操が長年信頼した厳格な将軍」
- まとめ|一度の失敗だけで于禁の人生すべてを否定したくない
于禁とは?基本プロフィール
名前:于禁(うきん)
字:文則(ぶんそく)
出身:兗州泰山郡鉅平県
主な主君:鮑信→曹操→曹丕
代表的な戦い:呂布討伐・張繍との戦い・官渡の戦い・樊城の戦いなど
最終的な官職:安遠将軍
没年:221年ごろ
諡:厲侯
于禁は、
張遼・楽進・張郃・徐晃とともに、
後世「五子良将」などと呼ばれる魏の代表的な将軍の一人です。
この五人は陳寿の『三国志』でも同じ巻にまとめて伝が立てられています。
つまり、
于禁は決して魏の脇役だったわけではありません。
むしろ長期間、
曹操軍の重要な将軍として戦い続けた人物です。
于禁は黄巾の乱から軍人として歩み始める
于禁の軍歴は非常に古く、
黄巾の乱の時代
までさかのぼります。
最初は、
鮑信
のもとに加わりました。
その後、曹操が兗州を支配するようになると、
于禁も曹操の勢力に加わっていきます。
于禁の能力に注目した人物が、
王朗。
王朗は于禁を評価し、
大将軍を任せられるほどの才能があるとして推薦しました。
曹操は于禁と直接話をし、
その能力を認めます。
ここから、
于禁の長い曹操軍人生が始まりました。
呂布軍との戦いで結果を出す
曹操に仕えた于禁は、
すぐに各地の戦場へ送られます。
徐州方面で戦功を挙げ、
さらに、
呂布との戦い
にも参加。
濮陽周辺では、
呂布軍の陣営を破っています。
ほかにも各地を転戦し、
着実に結果を残していきました。
ここまでを見るだけでも、
僕が最初に持っていた、
「于禁ってそんなに強くなさそう」
という印象とはかなり違います。
派手な一騎打ちではありません。
でも、
軍を率いて戦果を挙げる能力は確かだった。
そんなタイプだったのでしょう。
張繍の反乱で見せた于禁の本当の強さ
僕が于禁を調べていて、
「この人、本当に優秀だったんだな」
と思ったのが、
張繍の反乱
での行動です。
張繍はいったん曹操へ降伏します。
ところが後に反乱。
曹操軍は大きく崩れました。
この戦いでは、
曹操を守った典韋が壮絶な戦死を遂げています。
▶ 関連記事:典韋とは?曹操を命懸けで守った怪力の猛将
軍が混乱し、
兵士たちはバラバラになりながら曹操のもとへ戻ろうとしていました。
普通なら、
自分も逃げることで精一杯になりそうな状況です。
でも、
于禁は違いました。
敗走中でも自分の軍を崩さなかった
于禁は、
数百人の部下をまとめます。
そして敵と戦いながら、
少しずつ撤退。
死傷者が出ても、
部隊をバラバラにしませんでした。
追撃が弱まると、
隊列を整え、
鼓を鳴らしながら帰還したと記録されています。
これ、
かなりすごいと思います。
勝っているときに軍を率いるのとは違います。
全軍が崩れているときに、自分の部隊だけ秩序を保った。
こういうところが、
于禁の本当の強さだったのでしょう。
味方の略奪も許さなかった
さらに帰還途中、
于禁は負傷して逃げている兵士たちを見つけます。
事情を聞くと、
曹操軍の、
青州兵に略奪された
というのです。
味方同士です。
でも于禁は、
「同じ曹操軍だから」
と見逃しませんでした。
青州兵を攻撃し、
その行為を処罰します。
ところが青州兵は先に曹操のもとへ行き、
于禁について訴えました。
普通なら焦りますよね。
「先に曹操へ説明しないと自分が悪者になる!」
と思いそうです。
でも于禁は、
先に曹操へ弁明しませんでした。
「今は敵への備えが先」
于禁が優先したのは、
陣地を作ること。
敵がまだ追ってくる可能性があります。
だから、
自分への疑いを晴らすことより、
まず軍を守る準備をする。
陣地を整えた後、
ようやく曹操のもとへ行って事情を説明しました。
曹操は、
そんな于禁の行動を高く評価します。
混乱の中でも軍を整え、
略奪を許さず、
敵への備えまで怠らなかった于禁について、
古の名将でもこれ以上ではない
というほどの評価をしています。
于禁は弱いどころか曹操から絶賛されていた
僕はこれを知って、
于禁を見る目がかなり変わりました。
関羽に降伏した場面だけ知っていると、
どうしても、
「弱かったから負けて降伏した」
というイメージになってしまいます。
でも違います。
曹操軍が崩壊しても、
自分の部隊をまとめられる。
味方の不正も許さない。
自分が告げ口されても、
弁明より軍事行動を優先する。
これ、
相当真面目な軍人です。
僕の中では、
于禁はだんだん、
「影で頑張り続けてきた努力家」
という印象に変わってきました。
官渡の戦いでも于禁は大活躍
曹操と袁紹が戦った、
官渡の戦い。
ここでも于禁は活躍します。
当時、
袁紹軍は非常に強大でした。
それでも于禁は、
自ら前線で戦うことを希望。
曹操はその意気を評価し、
歩兵・騎兵合わせて2,000人を于禁に預け、
延津を守らせました。
その後、
曹操が劉備を討つために東へ向かうと、
袁紹は于禁の陣地を攻撃します。
しかし、
于禁は守り切りました。
袁紹軍は、
于禁を突破できませんでした。
楽進とともに袁紹軍を攻撃
さらに于禁は、
楽進
らとともに5,000の兵を率いて攻撃。
袁紹軍の陣地を多数破壊し、
多くの敵兵を討ち取り、
さらに複数の敵将を降伏させました。
官渡でも、
袁紹軍から激しい攻撃を受けます。
兵士たちが恐怖する中、
于禁は陣地を守りながら奮戦。
戦後、
偏将軍
へ昇進しました。
これを見ると、
やっぱり于禁は、
決して弱い武将ではありません。
于禁を象徴する「昌豨」の事件
于禁の性格を知るうえで、
非常に重要な事件があります。
昌豨(しょうき)
という人物の反乱です。
曹操は、
于禁を討伐へ向かわせました。
于禁が激しく攻撃すると、
昌豨は降伏します。
実は、
于禁と昌豨は以前からの知り合いでした。
そのため周囲の武将たちは、
「降伏したのだから曹操のところへ連れていけばいい」
と考えます。
しかし、
于禁は違いました。
友人でも軍令は曲げない
曹操軍には、
包囲された後に降伏した者は許さない
という軍令がありました。
于禁は、
それを守ろうとします。
相手は昔からの知り合い。
助けたい気持ちもあったのでしょう。
于禁は涙を流しながら、
昌豨を処刑しました。
軍令を守るためです。
僕はこの話を見ると、
于禁という人物がかなり分かる気がします。
真面目すぎるほど真面目
僕なら、
「昔から知っているんだから、なんとか曹操に判断してもらえないか」
と思ってしまうかもしれません。
でも于禁は、
自分だけ例外を作らなかった。
知り合いだから助ける。
偉い人だから許す。
そんなことをしない。
僕が于禁を一言で表すなら、
「真面目すぎるくらい真面目な努力家」
です。
そして、
その真面目さが後の悲劇を、
より大きなものにしたようにも思えます。
曹操はさらに于禁を信頼する
昌豨を処刑したことを知った曹操は、
于禁への信頼をさらに深めました。
感情より軍令を優先できる。
軍をきっちり統率できる。
戦場でも結果を残す。
曹操からすれば、
非常に使いやすく、信頼できる将軍だった
のでしょう。
于禁は五将軍の中でも重要な存在だった
張遼。
楽進。
于禁。
張郃。
徐晃。
この五人は、
魏を代表する将軍として知られています。
張遼には合肥。
徐晃には樊城。
張郃には街亭。
という非常に分かりやすい代表戦があります。
一方、
于禁は少し地味。
僕がゲームで、
「そんなに重要な武将じゃないのかな?」
と思ってしまったのも、このあたりが理由かもしれません。
でも実際には、
曹操のもとで長年軍を率い続けた重要な武将でした。
219年、于禁の運命を変える樊城の戦い
そして219年。
于禁の評価を大きく変えてしまう戦いが始まります。
樊城の戦い。
関羽が北上し、
曹仁が守る樊城を攻撃します。
曹操は、
曹仁を助けるため援軍を送ります。
その援軍を率いたのが、
于禁。
そして一緒に向かった武将の一人が、
龐徳(ほうとく)
でした。
突然の大雨と漢水の氾濫
この戦いでは、
大雨が降り続きました。
その結果、
漢水が氾濫。
平地にも大量の水が流れ込みます。
于禁が率いていた七軍は、
洪水によって大きな被害を受けました。
関羽は、
船を使って于禁軍を攻撃。
于禁たちは、
高い場所へ逃れるしかありません。
これは単純に、
関羽との正面対決で于禁が戦術的に完敗した
だけの話ではありません。
洪水という、
非常に大きな自然災害が戦況を変えています。
于禁、関羽に降伏
逃げ場を失った于禁。
そして、
関羽へ降伏します。
一方、
龐徳は降伏しませんでした。
最後まで関羽への降伏を拒否し、
処刑されます。
ここで、
于禁と龐徳の選択は完全に分かれました。
生きることを選んだ于禁。
忠義を貫き死を選んだ龐徳。
この対比が、
後世の于禁の評価にも大きな影響を与えることになります。
曹操も于禁の降伏に驚いた
于禁降伏の知らせを聞いた曹操は、
長い間嘆いたとされています。
曹操は、
于禁を30年近く知ってきた。
それなのに危機に直面したとき、
龐徳に及ばなかったとは思わなかった、
という趣旨の言葉を残しました。
これは、
かなり厳しい評価です。
でも逆に考えると、
それだけ曹操が于禁を信頼していた
ともいえると思います。
なぜ于禁は降伏したのか?
ここは、
僕が今回一番考えたところです。
「武将なら最後まで戦って死ぬべきだった」
という考え方も分かります。
この時代の物語として見るなら、
龐徳の方が圧倒的にかっこいい。
最後まで忠義を貫き、
死を選んだ。
僕も、
「漢としてかっこいいのは龐徳だな」
と思います。
でも、
現実の人間として考えると、
少し違って見えてきます。
「死にたくない」は弱さなのか?
于禁にも、
家族がいたでしょう。
そして于禁が率いていた兵士たちにも、
それぞれ家族がいたはずです。
もし自分が、
「ここで死ねば忠義を貫いた英雄になれる」
という状況になったとして、
本当に死を選べるでしょうか。
僕なら、
簡単には選べないと思います。
生きたい。
家族のところへ帰りたい。
もう一度人生をやり直したい。
そう思うのは、
普通の人間として自然なことだと思います。
于禁を「弱い」とだけ言う気にはなれない
もちろん、
だから于禁の降伏が正しかった、
と言いたいわけではありません。
曹操側から見れば、
重要な将軍が敵へ降伏した。
受け入れられない人がいるのも当然です。
龐徳は死を選んだ。
その龐徳と比べれば、
当時の価値観では于禁への評価が下がるのも分かります。
敵からしても、
長年魏のために戦ってきた将軍です。
「かわいそうだから仕方ない」
と同情してもらえるとは限りません。
でも僕は、
「降伏した=弱い武将だった」
とは思いません。
それまでの功績まで消えるわけではない
ここが、
今回の記事で一番伝えたいところです。
于禁は、
何十年も曹操のために戦っています。
呂布と戦った。
張繍の反乱では、
崩壊した軍の中で部隊をまとめた。
袁紹の大軍を相手に延津を守った。
官渡でも戦った。
軍律を守った。
曹操から、
何度も評価された。
そして、
最後に降伏した。
最後の一つだけを切り取って、それ以前のすべてが無かったことになるわけではありません。
関羽敗北後、于禁は呉へ
その後、
戦況が大きく変わります。
孫権軍が荊州へ侵攻。
関羽は敗北し、
最終的に捕らえられて処刑されます。
関羽に捕虜とされていた于禁は、
今度は、
孫権のもとに置かれることになりました。
曹操は220年に死去。
于禁は、
長年仕えた曹操のもとへ戻ることができませんでした。
于禁、ようやく魏へ帰還
曹丕が皇帝となった後、
孫権が魏へ臣従する姿勢を示します。
その過程で、
于禁は魏へ送り返されました。
ようやく帰ってきた于禁。
でも、
以前の于禁とは大きく変わっていました。
正史には、
髪もひげも真っ白になり、やつれ果てていた
と記録されています。
そして曹丕と対面すると、
涙を流して頭を下げました。
曹丕は一度、于禁を慰めた
曹丕は、
敗戦を経験しながら後に功績を挙げた昔の将軍たちを例に出し、
于禁を慰めました。
さらに、
安遠将軍
に任命します。
ここだけ見ると、
「于禁にももう一度チャンスが与えられるのかな」
と思います。
しかし、
その後に待っていた出来事は、
かなり残酷でした。
曹丕が于禁に見せたもの
曹丕は于禁を、
曹操が眠る、
高陵
へ向かわせます。
そこには、
樊城の戦いを描いた絵が用意されていました。
描かれていたのは、
勝利する関羽。
怒りながら抵抗する龐徳。
そして、
降伏する于禁。
于禁は、
それを目にします。
長年仕えた曹操の墓。
その場所で、
自分の人生最大の失敗を描いた絵を見せられた。
于禁は、
その出来事によって大きなショックを受け、
病気になり、
やがて亡くなったと記録されています。
これはかなり辛い最期だと思う
僕は、
于禁の生涯を調べていて、
ここがかなり辛かったです。
真面目にやってきた。
何十年も戦ってきた。
軍が崩れてもまとめた。
友人でも軍令を破れば処刑した。
曹操からも評価された。
でも、
人生の最後に一度大きな失敗をする。
そして、
その失敗が于禁という人物そのものの評価になってしまった。
僕が于禁を、
「真面目すぎるがゆえに、一つの失敗で評価を大きく落としてしまった努力家」
と感じる理由です。
しかも諡は「厲侯」
于禁の死後、
与えられた諡は、
「厲侯」
でした。
これは手放しで名誉ある意味だけを持つ諡ではなく、于禁にとって厳しい評価が込められたものと考えられています。
最後まで、
樊城での降伏がついて回ったことになります。
于禁は裏切り者だったのか?
これは、
見る立場によってかなり変わると思います。
魏側からすれば、
関羽へ降伏した将軍。
しかも、
曹操から長年信頼されていた。
曹操がショックを受けたのも当然でしょう。
龐徳と比較されるのも仕方ありません。
でも、
于禁は関羽に降伏した後、
積極的に魏へ刃を向けて活躍した人物というわけではありません。
関羽敗北後は呉へ移され、
最終的には魏へ帰還しています。
だから僕は、
単純に、
「裏切り者」
という一言だけで終わらせるのは少し違う気がします。
于禁の強さとは?
では、
于禁は強かったのでしょうか。
僕は最初、
「有能だけど、そんなに強くなさそう」
と思っていました。
調べた今なら、
少し答えが変わります。
一騎打ちで敵をバタバタ倒すような、
個人武勇の強さは分かりません。
でも、
将軍としてはかなり優秀です。
于禁の強み① 軍を崩さない
張繍の反乱で、
曹操軍が崩壊しても部隊をまとめた。
これは、
指揮官として非常に重要な能力だと思います。
于禁の強み② 守備ができる
袁紹軍が攻めてきても、
延津を守り切っています。
派手ではありません。
でも、
任された場所を守る。
こういう将軍は、
ものすごく重要です。
于禁の強み③ 軍律を守る
味方が略奪すれば処罰する。
友人が降伏しても、
軍令に従って処刑する。
現代の感覚で行動そのものを肯定する話ではありませんが、
軍の規律を何より重視した人物
だったことは分かります。
于禁の強み④ 長期間使われ続けた
これが一番大きいと思います。
曹操は、
能力のない人物を何十年も重要な将軍として使い続けるような人物ではないでしょう。
于禁は、
曹操軍の初期から、
樊城の戦いまで戦っています。
長期間使われ続けたこと自体が、于禁への評価の高さを示している
と思います。
于禁は「影の頑張り屋」だったのかもしれない
張遼には、
合肥。
徐晃には、
関羽撃破。
張郃には、
街亭。
こういう分かりやすい英雄エピソードがあります。
于禁は、
少し違います。
軍をまとめる。
陣地を守る。
軍律を守る。
反乱を鎮圧する。
敵軍の拠点を攻撃する。
必要な仕事を長年コツコツ続ける。
僕には、
于禁が、
「影の頑張り屋」
に見えてきました。
正史と『三国志演義』で見る于禁
『三国志演義』では、
樊城の戦いにおける于禁と龐徳の対比がさらに印象的に描かれています。
龐徳の勇猛さや忠義が強調される一方、
于禁はそれと対照的な人物として見えやすくなっています。
そのため、
演義やゲームなどから三国志へ入ると、
「于禁=関羽に負けて降伏した武将」
というイメージが強くなりやすいと思います。
僕自身もそうでした。
でも正史の于禁伝を最初から読むと、
印象はかなり違います。
正史の于禁は「曹操が長年信頼した厳格な将軍」
正史から見える于禁は、
軍律に厳しく、
戦場でも冷静。
崩れた軍をまとめ、
袁紹軍の攻撃にも耐え、
友人相手でも軍令を曲げない。
そして、
曹操から長年重用された将軍です。
だからこそ、
樊城での降伏が、
あれほど大きな出来事になったのだと思います。
もともと評価の低い武将だったら、
曹操もあそこまで驚かなかったでしょう。
「あの于禁が降伏した」
からこそ、
衝撃だったのではないでしょうか。
まとめ|一度の失敗だけで于禁の人生すべてを否定したくない
于禁について調べる前、
僕には、
「有能そうだけど、あまり強くなさそう」
というイメージがありました。
そして、
関羽へ降伏したことで、
「裏切り者」「ちょっと弱い」
という印象もありました。
でも、
生涯を追ってみると全然違いました。
呂布軍と戦う。
張繍の反乱では、
崩壊した曹操軍の中で自分の部隊をまとめる。
味方の略奪も許さない。
袁紹の大軍を相手に延津を守る。
官渡でも戦う。
友人である昌豨が降伏しても、
軍令を優先する。
そして、
曹操から何度も評価される。
于禁は長年、魏のために働き続けた武将でした。
ただ、
最後に近いところで大きな失敗をします。
樊城。
洪水によって七軍が壊滅。
于禁は、
関羽へ降伏しました。
龐徳は死を選んだ。
于禁は生きることを選んだ。
武将としてどちらがかっこいいかと聞かれれば、
僕も龐徳と答えたくなります。
でも、
もし自分が同じ状況になったら。
自分にも家族がいる。
部下にも家族がいる。
それでも、
「忠義のためにここで死のう」
と本当に言えるのか。
僕には分かりません。
だから、
于禁が降伏したことを美化する必要はないと思います。
でも同時に、
降伏したから、それまでの功績も全部ゼロ。
これも違うと思います。
何十年も真面目に働いてきた。
数え切れないほど戦った。
曹操にも認められた。
そして最後に、
一つの大きな失敗をした。
その失敗が、
于禁という人物の評価を大きく変えてしまった。
僕にとって于禁は、
「真面目すぎるくらい真面目で、一つの失敗によって評価を大きく落としてしまった努力家」
です。
そして、
もう一つ言うなら、
「魏を長年支え続けた影の頑張り屋」。
関羽への降伏だけでは、
于禁という武将の本当の姿は分からない。
今回調べてみて、
僕自身も于禁に対する印象がかなり変わりました。
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