曹仁とは?樊城を守り抜いた魏の鉄壁|曹操が信頼した名将の強さと生涯

おすすめーみんなに知ってほしい

三国志の魏には、張遼、夏侯惇、典韋、許褚など、知名度の高い武将がたくさんいます。

その中で、派手さでは少し隠れてしまうかもしれません。

しかし曹操軍を語るうえで、絶対に外せない武将がいます。

曹仁(そうじん)です。

僕が曹仁に持っているイメージを一言で表すなら、

「鉄壁」

です。

城や重要拠点を任せれば頼りになる。

でも曹仁について調べてみると、ただ守るだけではありません。

若いころは騎兵を率いて先鋒として戦い、ときには自ら敵の大軍へ突っ込んで味方を救出しています。

攻めても強い。守らせても強い。

そして何より、曹操の挙兵時代から長く付き従った一族の武将でもあります。

僕自身、「曹仁って曹操の弟だったっけ?従兄弟だったっけ?」と、たまに分からなくなります(笑)。

正しくは、曹仁は**曹操の従弟(いとこ)**です。

今回は、そんな曹仁について、

  • 曹操との関係
  • 若いころの活躍
  • 曹仁の攻撃力
  • 牛金を救った壮絶な戦い
  • 周瑜との江陵攻防戦
  • 関羽との樊城の戦い
  • なぜ曹操から信頼されたのか
  • 曹仁はどれくらい強かったのか
  • 正史と『三国志演義』の違い

などを、三国志初心者にも分かりやすく紹介します。


曹仁とは?まずは基本プロフィール

名前:曹仁(そうじん)
字:子孝(しこう)
生年:168年
没年:223年
主君:曹操→曹丕
曹操との関係:従弟
主な官職:征南将軍・大将軍・大司馬
諡:忠侯

曹仁は曹操の従弟にあたり、曹操が勢力を築き始めた初期から付き従った武将です。

曹操一族ということで、

「身内だから出世できたのでは?」

と思う人もいるかもしれません。

しかし曹仁の生涯を見ていくと、とてもそれだけでは説明できません。

攻撃では先鋒を務め、

敵中へ自ら突撃し、

重要拠点の守備を任され、

関羽の猛攻にも耐える。

実際の戦功を積み重ねて曹操軍の重鎮になった武将です。


曹仁は曹操の弟ではなく「従弟」

最初に、意外と分からなくなりやすい曹操と曹仁の関係を整理しておきます。

曹仁は、

曹操の弟ではありません。

正史『三国志』では曹操の「従弟」と記されています。

つまり曹操一族の武将です。

曹操軍にはほかにも、

夏侯惇
夏侯淵
曹洪
曹純

など、曹操と血縁関係のある有力武将がいました。

その中でも曹仁は非常に長く前線で活躍します。

そして最終的には、魏の最高クラスの軍事職である大司馬にまで昇りました。

曹操の親族というだけではなく、

曹操一族を代表する軍人の一人

と考えた方が分かりやすいでしょう。


若いころの曹仁は「守備の武将」ではなかった

曹仁というと、

「守備が得意な武将」

というイメージが強いと思います。

僕もそうです。

ところが若いころの曹仁を見ると、その印象が少し変わります。

曹仁は曹操に従うと、袁術との戦いや徐州攻略などに参加。

徐州では騎兵を率いて先鋒を務めています。

さらに呂布との戦いでも別働隊を率いて戦いました。

つまり若いころの曹仁は、

騎兵を率いて前線を駆け回る攻撃的な武将

でもあったのです。

後に「鉄壁」のイメージが強くなりますが、

最初から城にこもって守っていたわけではありません。

攻める経験を十分に積んだからこそ、守るときにも相手の考えが分かったのかもしれない。

そんな見方をすると、曹仁の面白さがさらに増します。


曹仁は戦術を考えることもできた

曹仁は勇猛なだけではありません。

壺関を攻めたときには、曹操に意見しています。

曹操側は城を攻略した後、抵抗した者を厳しく処罰する方針を示していました。

しかし、それでは城内の人々は、

「降伏しても助からないなら最後まで戦うしかない」

と考えてしまいます。

曹仁はそこを指摘しました。

敵に逃げ道を残さず死に物狂いで戦わせれば、こちらの被害も大きくなる。

曹操は曹仁の意見を採用し、その後、城は降伏しました。

曹仁というと「頑丈な守備の人」というイメージになりがちですが、

状況を考えて曹操に進言できる武将でもあった

ことが分かります。


江陵で見せた曹仁のとんでもない勇猛さ

曹仁の人物像がよく分かるのが、赤壁の戦い後の江陵をめぐる戦いです。

赤壁で曹操軍が敗れた後、曹仁は江陵に残って周瑜率いる呉軍と戦いました。

周瑜軍の前鋒が到着すると、曹仁は約300人を選び、部下の**牛金(ぎゅうきん)**に率いさせて戦わせます。

しかし敵軍の方が圧倒的に多く、牛金たちは包囲されてしまいました。

城からそれを見ていた曹仁。

普通なら援軍を出すか、城を守ることを優先するでしょう。

ところが曹仁は違います。


曹仁自ら数十騎で敵中へ突入!

牛金たちが危機に陥っているのを見ると、曹仁は激怒。

自ら鎧を着て馬に乗ろうとします。

周囲は当然止めました。

相手は大軍です。

しかも曹仁は軍を率いる将軍。

数百人の兵を救うために、総大将自身が危険を冒す必要はないと考えるのが普通でしょう。

しかし曹仁は止まりません。

わずか数十騎を率いて城から飛び出します。

そしてそのまま敵軍へ突入。

包囲されていた牛金たちを救出しました。

……ところが、まだ終わりません。

救出できていない味方が残っていました。

すると曹仁は、

もう一度敵中へ突入します。

そして残された兵まで救い出したのです。

これを見た曹仁の部下たちは、その勇猛さに驚嘆したと記録されています。


「偉いのに優しい」曹仁が好き

僕が曹仁を好きな理由の一つが、こういうところです。

立場だけを考えれば、

「数百人を救うために総大将を危険にさらすべきではない」

という周囲の意見も理解できます。

それでも曹仁は部下を助けに行きました。

しかも一度助けたところで終わらず、残っている兵のためにもう一度敵へ向かっています。

僕の中では曹仁って、

偉い立場になっても部下を見捨てない優しさがある武将

というイメージがあります。

もちろん戦場での判断なので、単純に現代的な意味で「優しい人だった」と断定することはできません。

それでも、この牛金救出のエピソードを見ると、

「この人についていきたい」

と兵士が思う気持ちは分かる気がします。


曹仁VS周瑜|江陵をめぐる戦い

江陵では、曹仁と戦った相手も強敵でした。

呉の名将、

周瑜(しゅうゆ)

です。

赤壁で曹操軍が敗れた後、周瑜らはさらに曹操勢力を押し戻そうとします。

曹仁は江陵に残り、周瑜軍を迎え撃ちました。

最終的には江陵から撤退することになりますが、曹仁はここでも呉軍を相手に戦っています。

曹仁の生涯を見ると、

周瑜
関羽
馬超

など、三国志でもトップクラスに有名な人物たちと同じ戦場に立っています。

かなりすごい経歴です。


馬超との戦いでも曹仁が登場

曹仁は西方でも活躍します。

曹操と馬超・韓遂らが争った潼関方面の戦いでは、曹仁が諸将を率いて潼関を守りました。

馬超もまた、三国志を代表する猛将の一人。

曹仁は呉方面だけを担当していたわけではありません。

曹操が必要とする場所へ派遣され、各地で軍を率いています。

これだけでも、

曹操からどれだけ信頼されていたか

が伝わってきます。


曹仁最大の見せ場「樊城の戦い」

そして曹仁を語るうえで絶対に外せないのが、

219年の樊城の戦い

です。

相手は、

関羽(かんう)。

三国志を代表する名将です。

このころ劉備は漢中王となり、関羽は荊州方面から北上。

曹仁の守る樊城へ攻撃を仕掛けます。

ここから曹仁は、生涯でも最大級の危機を迎えます。

僕自身、曹仁の戦いで一番印象に残っているのも、この樊城です。


関羽が「威震華夏」と呼ばれるほどの勢いで迫る

関羽軍の勢いはすさまじいものでした。

曹操は曹仁を助けるため、

于禁(うきん)
龐徳(ほうとく)

らを援軍として送ります。

ところが大雨によって漢水が氾濫。

于禁が率いていた軍は大きな被害を受けます。

于禁は関羽に降伏。

龐徳は降伏せず、捕らえられた後に処刑されました。

関羽の勢いはさらに増します。

正史『三国志』では、このときの関羽について、

「威震華夏」

と記されています。

天下を震わせるほどの勢いだったということです。


洪水・包囲・食糧不足……曹仁最大の危機

そして樊城の曹仁も、とんでもない状況に置かれていました。

洪水によって水位が上昇。

城内に残った曹仁の兵は数千。

関羽軍は船を使って城を何重にも包囲します。

外部との連絡も遮断。

さらに、

食糧まで尽きかけていました。

援軍もすぐには来ません。

逃げたくなる状況です。

しかし曹仁は逃げませんでした。


「ここで死ぬ」覚悟を兵士たちに示した曹仁

絶望的な状況の中、曹仁は兵士たちを励まします。

そして、

最後まで戦う覚悟

を示しました。

それを見た兵士たちも曹仁についていく決意を固めます。

ここが、僕の中の曹仁のイメージそのものです。

鉄壁。

ただ城壁が頑丈だったから守れたわけではありません。

援軍が壊滅し、

洪水に襲われ、

関羽に包囲され、

食糧も少なくなる。

それでも兵士をまとめて持ちこたえた。

守備というのは、

「城にこもっていればいい」

というものではないことがよく分かります。


徐晃の援軍が到着!曹仁は樊城を守り抜く

絶体絶命の曹仁を救ったのが、

徐晃(じょこう)

です。

曹操は徐晃を援軍として派遣。

徐晃は関羽軍と戦い、その包囲を崩していきます。

同じころ洪水も徐々に引いていきました。

そして曹仁は包囲から脱出。

関羽軍は撤退します。

つまり曹仁は、

関羽の猛攻から樊城を守り切った

のです。

もちろん曹仁一人の力ではありません。

徐晃の援軍も非常に大きな役割を果たしています。

さらに孫権側が関羽の背後を突いたことも、その後の戦況を大きく変えました。

それでも、

援軍が来るまで樊城を持ちこたえた

曹仁の働きは非常に重要でした。


僕が曹仁に「鉄壁」のイメージを持つ理由

曹仁といえば、僕の中ではやっぱり樊城です。

相手は関羽。

しかも、このときの関羽はまさに絶好調。

援軍の于禁まで降伏しています。

僕だったら、

「この状況で関羽から城を守れって無理じゃない?」

と思ってしまいます(笑)。

それでも曹仁は踏ん張りました。

そして最終的には樊城を失っていません。

だから僕にとって曹仁は、

「守備を任せるならこの人」

というイメージがものすごく強い武将です。


曹仁は守備だけじゃない!本当の強みは「攻守両方」

ここまでを見ると、

「やっぱり曹仁は守備の人だな」

と思うかもしれません。

でも僕は、

曹仁の本当の強さは「攻守両方できること」

だと思います。

若いころは騎兵を率いて先鋒を務める。

牛金が包囲されれば、自ら数十騎で敵へ突撃。

必要なら軍を率いて敵を攻撃する。

そして守備を任されれば、関羽の猛攻にも耐える。

これって、かなり使いやすい武将ですよね。

ゲーム風に表現するなら、

攻撃力も高いのに防御力がめちゃくちゃ高い。

そんなイメージです。

曹操がさまざまな重要任務を曹仁に任せたのも納得できます。


曹仁と張遼はどちらが強い?

魏の名将というと、張遼と曹仁を比べたくなる人もいると思います。

ただ、二人の強さは少しタイプが違います。

張遼は合肥で少数精鋭を率いて孫権軍へ突撃したことで有名。

曹仁は樊城などの重要拠点を守りながら、自ら敵中へ突撃する勇猛さも持っています。

僕のイメージで表現するなら、

張遼=切り込んで戦況を変える名将

曹仁=戦線そのものを支える名将

という感じです。

どちらが上というより、

曹操からすれば両方ほしい。

そんな二人だったのではないでしょうか。

▶ 関連記事:張遼とは?合肥で孫権を震え上がらせた魏の名将


曹仁は曹操にとってどんな存在だった?

曹仁について調べれば調べるほど、

曹操からものすごく信頼されていたんだろうな

と感じます。

曹仁は曹操が勢力を築き始めたころから従っています。

そして曹操は曹仁に、

先鋒、

別働隊、

重要拠点の守備、

方面軍の指揮など、

さまざまな役割を任せました。

単純に「親族だから」というだけなら、ここまで長期間重要な戦場を任せ続けるのは難しいでしょう。

実績を残し続けたからこそ、曹仁は曹操軍の中心に居続けられたのだと思います。

▶ 関連記事:曹操とは?悪役だけではない魏の英雄|生涯・戦い・性格をわかりやすく解説


「右腕」というより曹操の脇をガッチリ固める存在

曹仁について僕が持っているイメージは、少し独特かもしれません。

「曹操の右腕」と言うより、

曹操の脇をガッチリ固めている存在

という感じなんです。

張遼の合肥のような派手な伝説。

典韋の壮絶な最期。

夏侯惇の隻眼。

そういった分かりやすいインパクトと比べると、曹仁は少し地味に見えるかもしれません。

でも、

「ここは絶対に落とされたくない」

という場所を誰に任せるか。

僕が曹操だったら曹仁を置きたくなります。

派手に目立つというより、

「曹仁がいるなら大丈夫」

と思わせる存在。

曹操のことを支え続け、曹操からも100%信頼されているようなイメージがあります。

僕にとって曹仁は、そんな武将です。


曹操の死後は魏の大将軍・大司馬へ

220年、曹操が亡くなります。

その後、曹丕が魏の皇帝となりました。

曹仁は曹操が亡くなった後も重用されます。

曹丕の時代には、

大将軍

となり、さらに

大司馬

へ昇進。

魏の軍事を担う最高クラスの地位まで上り詰めました。

曹操時代から戦い続けた曹仁が、次の世代でも軍の中心として扱われたことからも、その評価の高さが分かります。


曹仁の最期

曹仁は223年に亡くなりました。

享年56と伝えられています。

死後には、

「忠侯」

という諡が贈られました。

若いころから曹操に付き従い、

袁術、

陶謙、

呂布、

周瑜、

馬超、

関羽など、

数々の勢力・武将との戦いを経験。

そして曹操の死後も魏を支えました。

まさに、

曹操軍の創成期から魏の成立後まで戦い続けた歴戦の名将

です。


正史と『三国志演義』|曹仁は実際どれくらい強かった?

曹仁はゲームや『三国志演義』では、守備型の武将という印象が強いかもしれません。

しかし正史『三国志』の曹仁伝を見ると、

かなり勇猛です。

特に牛金を救った戦いは強烈です。

数十騎で敵軍へ突入。

牛金を救出。

まだ味方が残っていると分かると、再び敵へ突撃。

これは創作ではなく、正史の曹仁伝に記録されている活躍です。

さらに樊城では関羽の包囲に耐えています。

そのため史実の曹仁は、

「守備専門の武将」ではなく、「自分でも戦えて、大軍も率いられ、重要拠点も守れる武将」

と考えた方が近いと思います。


曹仁をもっと知りたい人におすすめ

曹仁は単独で見るだけでなく、

曹操軍全体の中で見るとさらに面白い武将

です。

張遼。

徐晃。

夏侯惇。

夏侯淵。

曹洪。

曹純。

そして曹操。

それぞれ違った役割を持つ武将が集まっていました。

その中で曹仁がどんな仕事を任されていたのかを見ると、

なぜ曹操軍が強かったのか

も少しずつ見えてきます。

正史『三国志』の曹仁伝を読んでみると、ゲームや漫画とは違った「攻める曹仁」も知ることができます。


まとめ|曹仁は曹操の脇を固め続けた「魏の鉄壁」

曹仁は曹操の従弟で、曹操が勢力を築き始めたころから付き従った武将です。

僕の曹仁に対するイメージは、

「鉄壁」

でした。

でも生涯を見ていくと、それだけではありません。

若いころは騎兵を率いて先鋒として戦い、

包囲された牛金を助けるために自ら敵中へ突撃。

周瑜と戦い、

馬超との戦いにも参加。

そして樊城では、関羽の猛攻を受けながら城を守り抜きました。

つまり曹仁は、

攻めても強い。
守らせても強い。
部下を見捨てない。
軍を率いることもできる。

かなり総合力の高い武将だったことが分かります。

張遼や典韋ほど派手なイメージではないかもしれません。

でも僕にとって曹仁は、

曹操の右腕というより、その脇をガッチリ固め続けた存在。

「曹仁がいるなら、ここは任せられる」

曹操にそう思わせるくらい信頼されていたのではないか。

そんなイメージがあります。

そして関羽が天下を震わせるほどの勢いで迫っても、最後まで樊城を守った。

やっぱり曹仁には、

「魏の鉄壁」

という言葉がよく似合うと思います。

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