三国志の天才詩人・曹植(子建)とは? 曹操の息子が辿った波乱の生涯

三国志

中国の歴史小説『三国志演義』や史実に基づく『三国志』には、数多くの英雄が登場します。その中でも、文才において群を抜いていた人物が、曹操の三男・曹植(そうしょく)です。字(あざな)は子建(しけん)。彼は政治家としてだけでなく、詩人として中国文学史に名を刻んだ天才でした。

曹操の寵愛を受けた三男・曹植

曹植は西暦192年に生まれ、若くしてその卓越した文章力と詩作の才能を発揮します。父である曹操は彼の才能に惚れ込み、後継者に据えようと考えていたとも言われています。しかし、兄・曹丕(そうひ)もまた優秀な人物で、政治的な手腕にも長けていました。

最終的に、後継者争いに勝利したのは曹丕でした。曹丕は父・曹操の死後、魏の初代皇帝となり、魏王朝を開きます。これによって、曹植の運命は大きく狂っていくのです。

「七歩の詩」と曹植の悲哀

曹植の代表的なエピソードとして有名なのが、「七歩の詩(しちほのし)」です。これは、兄・曹丕が彼を試すため、「七歩歩く間に詩を作れなければ処刑する」と命じたという逸話です。

その場で曹植が詠んだ詩は以下のような内容でした:

煮豆燃豆萁(まめをにてまめがらをたく)
豆在釜中泣(まめはなべのなかでなく)
本是同根生(もとはおなじみきよりしょうず)
相煎何太急(あいたきなんぞはなはだきゅうなる)

この詩は、「同じ根から生まれた兄弟がなぜ憎しみ合わねばならないのか」という、曹植の心からの嘆きを表しています。この機転と才能により、命は救われたと伝えられています。

曹植の詩の特徴と評価

曹植の詩は、建安文学の代表として高く評価されています。建安年間(196〜220年)に活躍した文学者たちによる作品群は、後世に大きな影響を与えました。その中でも曹植は特に、「文の曹子建」と称されるほどの存在でした。

彼の詩は、情感豊かで鋭い感性と表現力に富み、その美しさは現代でも多くの人々を魅了しています。また、政治的抑圧と悲哀を内に秘めた詩文は、同時代の詩人とは一線を画す深みを持っています。

曹植の晩年とその死

後継者争いに敗れた曹植は、その後の人生を地方に左遷されるなど、決して恵まれたものではありませんでした。幾度となく詩や奏上文で自身の忠誠心を訴えましたが、疑いの目を向けられ続け、最終的には政治的に冷遇されてしまいます。

西暦232年、曹植は41歳でその波乱に満ちた生涯を終えます。詩人としての才能が評価される一方で、政争に翻弄された悲劇の皇子として、彼の名は歴史に残っています。

【まとめ】

曹植(子建)は、三国志において文才において突出した人物であり、兄との確執や政治的な不遇の中でもその才能を発揮し続けました。現代でも彼の詩は中国文学の至宝として高く評価されています。

「三国志の詩人・曹植」という視点から彼の人生を辿ることで、三国時代の人間ドラマと文化的側面の奥深さを知ることができます。あなたもぜひ、曹植の詩を読んでその世界観に触れてみてください。

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