夏侯惇とは?隻眼だけじゃない曹操最古参の名将|強さ・生涯・曹操との絆を解説

おすすめーみんなに知ってほしい

三国志で「隻眼の武将」といえば、真っ先に思い浮かぶ人物。

それが**夏侯惇(かこうとん)**です。

片目を失いながら戦い続けた猛将。

大きな武器を持ち、曹操のそばにいる怖そうな男。

僕が『真・三國無双』などを通して最初に夏侯惇を知ったころも、

「めちゃくちゃ強そう。でもちょっと山賊みたいで悪そう」

というイメージでした(笑)。

ところが史実の夏侯惇を知っていくと、かなり印象が変わります。

もちろん隻眼になったのは史実です。

しかし夏侯惇の本当の魅力は、それだけではありません。

曹操が挙兵した初期から付き従い、長年にわたって曹操を支え続けました。

しかも曹操から受けていた信頼は非常に大きなもの。

僕の中では、

「曹操にとって、もう一人の自分」

と言いたくなるような存在です。

今回は、

  • 夏侯惇とはどんな人物なのか
  • 曹操との関係
  • どうして隻眼になったのか
  • 「目玉を食べた」は本当なのか
  • 呂布との戦い
  • 夏侯惇は本当に猛将だったのか
  • 民政で見せた意外な一面
  • 曹操からどれくらい信頼されていたのか
  • 正史と『三国志演義』の違い

などを、三国志初心者にも分かりやすく紹介します。


夏侯惇とは?基本プロフィール

名前:夏侯惇(かこうとん)
字:元譲(げんじょう)
出身:沛国譙県
主君:曹操→曹丕
一族:夏侯淵など
特徴:左目を失った隻眼の武将
諡:忠侯

夏侯惇は曹操軍の中でも、非常に早い時期から曹操に付き従った人物です。

正史『三国志』には、

「太祖初起、惇常為裨将、従征伐」

とあり、曹操が挙兵した当初から夏侯惇が従軍していたことが分かります。

つまり張遼や張郃のように途中から曹操軍へ加わった武将とは違います。

曹操軍がまだ巨大勢力になる前から一緒に戦ってきた人物。

ここが夏侯惇を考えるうえで重要なポイントです。


14歳ですでに気性の激しさを知られていた

夏侯惇には若いころから強烈な逸話があります。

14歳のころ、夏侯惇が学んでいた師を侮辱した人物がいました。

すると夏侯惇は、その人物を殺したと記録されています。

もちろん現代の価値観から見れば、とても肯定できる行動ではありません。

ただ、この出来事によって夏侯惇は若いころから、

気性の激しい人物

として知られるようになりました。

僕がゲームで最初に感じた、

「なんか怖い」

「山賊みたいで強そう」

というイメージも、まったく何もないところから生まれたものではないのかもしれません。

ただし夏侯惇の生涯を最後まで見ていくと、単純な荒くれ者ではなかったことが分かります。


曹操挙兵時から付き従った最古参

曹操が挙兵すると、夏侯惇はその初期から従いました。

曹操が奮武将軍になると、夏侯惇は司馬となります。

その後も重要な役職を任されていきました。

曹操軍には、

曹仁、

曹洪、

夏侯淵、

楽進、

于禁、

張遼、

徐晃、

張郃など、

数多くの名将がいます。

しかし夏侯惇は、その中でも特に曹操との付き合いが長い人物の一人です。

曹操が天下に名を轟かせるより前。

まだ魏という国すら存在しないころ。

そこから一緒に歩いてきたのが夏侯惇でした。


呂布との戦いで夏侯惇に大事件が起こる

曹操が徐州の陶謙を攻めていたとき、留守を狙うように張邈らが反乱を起こし、呂布を迎え入れました。

曹操の本拠地が危険な状態になります。

このとき夏侯惇は軍を率いて救援へ向かいました。

途中で呂布軍と遭遇し、戦闘になります。

さらに混乱の中、夏侯惇自身が人質に取られるという事件まで発生しました。

将軍本人が捕まってしまったのです。

夏侯惇軍は大混乱。

ここで活躍したのが、夏侯惇の部下だった**韓浩(かんこう)**でした。


夏侯惇が人質に!韓浩の覚悟がすごい

夏侯惇を捕らえた者たちは、財宝を要求しました。

しかし韓浩は屈しません。

軍を落ち着かせると、夏侯惇を人質にしている者たちに対して厳しい態度を取ります。

簡単に言えば、

「将軍一人のために軍法を曲げることはできない」

という覚悟です。

結果として夏侯惇は救出されました。

曹操は韓浩の対応を高く評価し、その後、人質事件への対応にも影響を与えました。

夏侯惇本人の武勇とは違いますが、

夏侯惇の周囲にも優秀な人物がいた

ことが分かる面白いエピソードです。


夏侯惇はなぜ隻眼になった?

夏侯惇最大の特徴といえば、

隻眼

です。

これは創作ではありません。

正史『三国志』にも、夏侯惇が呂布との戦いで流れ矢を受け、

左目を負傷した

ことが記録されています。

そのため軍中では、

「盲夏侯」

と呼ばれるようになりました。

ところが夏侯惇本人は、この呼び名を嫌っていたようです。

『魏略』によると、鏡を見るたびに腹を立て、鏡を地面へ投げつけたとされています。

隻眼は夏侯惇のトレードマークのようになっていますが、本人にとっては決して誇らしいものではなかったのかもしれません。


「目玉を食べた夏侯惇」は史実なの?

夏侯惇には非常に有名なエピソードがあります。

敵の矢が目に刺さる。

夏侯惇が矢を引き抜く。

すると眼球まで一緒に抜けてしまう。

そして、

「父の精、母の血、棄つべからず!」

と言って自分の眼球を食べる――。

夏侯惇を象徴するような強烈な場面です。

しかし、

これは正史『三国志』にはありません。

『三国志演義』で描かれたエピソードです。

史実で確認できるのは、

呂布との戦いで流れ矢によって左目を負傷した

というところまで。

眼球を食べたという話まで史実だと思わないよう注意が必要です。

とはいえ、この演義のエピソードが夏侯惇の「隻眼の猛将」というイメージを強烈なものにしたのは間違いないでしょう。


隻眼になっても夏侯惇は戦い続けた

僕が夏侯惇をかっこいいと思う理由の一つがここです。

片目を失うほどの大怪我。

現代でも大変なことですが、戦場で馬に乗り、敵味方を判断しながら指揮を執る武将にとって、視力を失うことはさらに大きな問題だったはずです。

それでも夏侯惇は、その後も曹操を支え続けます。

だから僕の中では、

「隻眼だからかっこいい」

というより、

「隻眼になっても曹操のそばで戦い続けたからかっこいい」

という感覚の方が近いです。


夏侯惇は本当に「最強クラスの猛将」だった?

ここは夏侯惇の記事では重要なところです。

ゲームや漫画では、

夏侯惇=魏を代表する猛将

というイメージがあります。

しかし正史を読むと、少し違った姿が見えてきます。

張遼の合肥。

曹仁の樊城。

徐晃の樊城救援。

こうした武将たちと比べると、

「夏侯惇が大戦で敵軍を壊滅させた」

という分かりやすい軍事的戦功は意外と多くありません。

だからといって、

「夏侯惇は弱かった」

と考えるのも違うと思います。

曹操は長年にわたって夏侯惇に重要な役割を任せています。

さらに後には大軍を統率する立場にもなりました。

夏侯惇の評価は、単純な個人武勇だけを見るより、

曹操軍全体を支える重臣として見る

方が分かりやすいでしょう。


実は夏侯惇は「政治・民政」でも活躍している

僕が夏侯惇について調べていて特に印象が変わったのがここです。

見た目は隻眼。

若いころから気性が激しい。

ゲームでは巨大な武器を振り回す。

どう考えても、

戦争専門の猛将

に見えます(笑)。

ところが正史には違う夏侯惇の姿があります。

当時、旱魃や蝗害によって食糧事情が悪化していました。

夏侯惇は水をせき止めるための工事を行い、

自ら土を運び、将兵を率いて稲作を進めた

と記録されています。

その結果、人々が恩恵を受けました。

これを知ったとき、

「夏侯惇ってこんなこともやっていたの?」

と思う人も多いのではないでしょうか。

僕も最初に持っていた「山賊みたいな怖い猛将」という印象とは、かなり違います。


夏侯惇は学問も大切にしていた?

さらに夏侯惇には意外な一面があります。

正史の注に引用された資料には、夏侯惇が軍中にいても師を迎え、自ら学んでいたことが記されています。

また財産についても、

必要以上に蓄えず、余れば人々に分け、不足すれば官から受け取ったとされています。

もちろん、こうした記録をそのまま現代的な「人格者」という言葉だけでまとめるのは慎重であるべきでしょう。

それでも、

荒々しい猛将だけでは説明できない人物

だったことは分かります。

ゲームから入った人ほど、史実の夏侯惇を知ると印象が変わるかもしれません。


曹操と夏侯惇の関係がすごい

そして夏侯惇最大の魅力だと僕が思うのが、

曹操との関係です。

曹操には数多くの名将がいました。

張遼。

曹仁。

夏侯淵。

徐晃。

許褚。

典韋。

それでも夏侯惇が受けていた扱いは特別でした。

正史には、曹操が夏侯惇を非常に親しく重んじたことが記録されています。

その象徴ともいえるのが、

曹操と同じ車に乗ることを許されたこと。

さらに、

曹操の寝室にも出入りすることを許されていた

と記録されています。

そして正史には、

「諸将でこれに比べられる者はいなかった」

という意味の記述まであります。

これはかなりすごいことです。


僕には夏侯惇が「曹操の分身」に見える

曹仁の記事では、

「曹操の脇をガッチリ固める存在」

と書きました。

夏侯惇は少し違います。

僕の中では、

「もう一人の曹操」

あるいは、

「曹操の分身」

のようなイメージがあります。

もちろん能力や性格が曹操と同じだったという意味ではありません。

それくらい、

曹操が自分に近いところへ置いて、心から信頼できる存在だったのではないか

ということです。

同じ車に乗せる。

寝室への出入りまで許す。

ほかの将軍とは違う特別な扱いをする。

長い付き合いだけでは、なかなかここまでの関係にはならないと思います。


夏侯惇も曹操を信頼していたのではないか

信頼は曹操から夏侯惇への一方通行だったわけではないでしょう。

夏侯惇は曹操の挙兵初期から付き従いました。

そして曹操が巨大な勢力を築いても、その関係は続きます。

僕は夏侯惇を見ると、関羽にも少し似た魅力を感じます。

もちろん二人の立場や生涯は違います。

それでも、

これだけ存在感のある人物なのに、自分が主役になろうとするより、信頼する人物を支え続ける。

そこがかっこいい。

夏侯惇ほどの地位を得ても曹操を支え続け、曹操も夏侯惇を特別に信頼する。

僕はこの二人の関係がすごく好きです。


夏侯惇と曹仁はどう違う?

曹操一族の代表的な武将として、

夏侯惇と曹仁

はよく名前が挙がります。

でも僕の中では、二人のイメージはかなり違います。

曹仁は、

「曹操の脇をガッチリ固める鉄壁」

という感じ。

重要な場所を任せれば、体を張って守ってくれる。

一方の夏侯惇は、

「曹操のすぐそばにいる、もう一人の自分」

というイメージです。

どちらも曹操にとって重要。

でも重要さの種類が少し違う。

こうして比べると、曹操一族の武将たちも一人一人違った魅力があって面白いです。

▶ 関連記事:曹仁とは?樊城を守り抜いた魏の鉄壁


夏侯惇と夏侯淵の違いは?

もう一人、夏侯惇とセットで覚えておきたいのが、

夏侯淵(かこうえん)

です。

名前も似ているので、三国志初心者のころは混乱しやすい二人です。

しかし武将としてのイメージはかなり違います。

夏侯惇は曹操の最古参として長く側近・重臣的な役割を担いました。

一方の夏侯淵は、

素早い軍事行動を得意とした前線指揮官

として有名です。

特に西方で大きな戦功を挙げました。

夏侯淵については別の記事で詳しく紹介します。

【今後公開予定:夏侯淵とは?驚異の機動力で戦場を駆けた魏の名将】


夏侯惇は魏の五将軍ではない

ここも三国志初心者には少し分かりにくいポイントです。

夏侯惇は魏を代表する武将ですが、

一般に「魏の五将軍」「五子良将」と呼ばれる5人には含まれていません。

その5人は、

張遼
楽進
于禁
張郃
徐晃

です。

「じゃあ夏侯惇はこの5人より下なの?」

という意味ではありません。

夏侯惇や曹仁など曹操一族の武将は、正史『三国志』でも五将とは別の列伝にまとめられています。

役割や立場が違うため、

単純な強さランキングとして考えない方が分かりやすい

でしょう。

▶ 関連記事:曹操を支えた魏の最強武将10人


曹操の死後、夏侯惇はどうなった?

220年。

長年仕えてきた曹操が亡くなります。

曹丕が後を継ぐと、夏侯惇は

大将軍

に任命されました。

曹操の時代から続く最重要人物として、新しい時代でも大きな地位を与えられたのです。

しかし、その期間は長くありませんでした。

夏侯惇は同じ220年に亡くなります。

死後、

忠侯

という諡が贈られました。

曹操が亡くなったのと同じ年に、夏侯惇もこの世を去ったことになります。

曹操の挙兵当初から付き従ってきた二人。

その二人が同じ年に亡くなったというのも、どこか印象的です。


正史と『三国志演義』で夏侯惇のイメージはかなり違う

夏侯惇は、

正史と創作のイメージの違いを楽しみやすい武将

だと思います。

『三国志演義』では、隻眼の猛将としてのキャラクターが非常に強烈です。

特に有名なのが、

矢と一緒に抜けた眼球を食べる場面。

一方、正史を見ると、

左目を失ったこと自体は事実。

しかし眼球を食べた記録はありません。

さらに史実では、

民政に取り組み、

農業を助け、

学問にも関心を持ち、

曹操から特別な信頼を受けた重臣としての姿が見えてきます。

つまり、

演義・ゲーム=隻眼の猛将

正史=曹操を長年支えた重臣・指揮官

という違いがあります。

両方を知ると、夏侯惇という人物がもっと面白くなります。


夏侯惇をもっと知りたい人におすすめ

夏侯惇は「隻眼の武将」という一点だけで終わらせるには、もったいない人物です。

曹操との関係。

夏侯淵との違い。

曹仁との違い。

呂布との戦い。

民政での活躍。

そして正史と『三国志演義』の違い。

こうした部分まで知ると、

ゲームで見ていた夏侯惇とは違った姿が見えてきます。

僕自身も最初は、

「強そうだけど、ちょっと悪そうな隻眼の猛将」

という印象でした。

そこから史実を知ると、曹操との関係の深さに一番惹かれるようになりました。


まとめ|夏侯惇は曹操にとって「もう一人の自分」のような存在

夏侯惇は曹操が挙兵した初期から付き従った、曹操軍最古参クラスの武将です。

呂布との戦いでは左目を失い、

隻眼の武将

となりました。

しかし夏侯惇の魅力は、隻眼や武勇だけではありません。

農業を助けるために自ら土を運んだ記録があり、学問にも関心を持っていました。

そして何より、

曹操との強い信頼関係。

曹操と同じ車に乗り、寝室へ出入りすることまで許される。

多くの名将を抱えた曹操軍の中でも、特別な存在だったことがうかがえます。

僕が夏侯惇を好きなのもそこです。

隻眼になっても戦い続ける強さ。

曹操を支え続ける忠誠。

そしてお互いに信頼し合っているように見える二人の関係。

曹仁が曹操の脇を固める存在なら、

夏侯惇は僕の中では、

「曹操のもう一人の自分、分身のような存在」

です。

ゲームで初めて見たときは、山賊のようなちょっと怖い武将だと思っていました(笑)。

でも知れば知るほど、

夏侯惇の本当のかっこよさは、眼帯の奥ではなく曹操との関係にあるのかもしれない。

今ではそんなふうに思う武将です。

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【今後追加予定】

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  • 魏の五将軍とは?張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃
  • 呂布とは?三国志最強と呼ばれる猛将の生涯

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